大判例

20世紀の現憲法下の裁判例を掲載しています。

東京地方裁判所 平成8年(ワ)16446号 判決

原告

宮崎博

ほか一名

被告

川島慎一

主文

一  別紙交通事故目録記載の交通事故に基づく原告らの被告に対する損害賠償債務は、連帯して金三六六万四九三七円及びこれに対する平成四年七月二六日から支払済みまで年五分の割合による金員を超えて存在しないことを確認する。

二  原告らのその余の請求をいずれも棄却する。

三  訴訟費用は、一〇分の一を原告らの負担とし、その余を被告の負担とする。

事実及び理由

第一請求

別紙交通事故目録記載の交通事故に基づく原告らの被告に対する損害賠償債務は、連帯して金二六三万九五一四円を超えて存在しないことを確認する(債務者が保有者と運転者であるから、連帯債務であると主張しているものと理解することができる。)。

第二事案の概要

本件は、信号機の設置されたT字路交差点において、右折するタクシーに対向直進してきた大型バイクが衝突した交通事故について、大型バイクの運転者が多額の損害賠償額を主張するとして、タクシーの運転者及び所有者が、一定額以上の損害賠償債務の不存在の確認を求めた事案である。

一  争いのない事実

1  交通事故(以下「本件事故」という。)の発生

(一) 発生日時 平成四年七月二六日午後四時二五分ころ

(二) 事故現場 茨城県鹿島郡神栖町大野原一―二三一先路上(T字路)

(三) 事故車両 被告が運転していた自動二輪車(品川て九三〇七、以下「被告バイク」という。)と、原告浜松タクシーが所有し、原告宮崎が運転していた普通乗用自動車(水戸五五あ六一九八、以下「原告タクシー」という。)

(四) 事故態様 事故現場を右折しようとした原告タクシーと、対向車線を直進してきた被告バイクが衝突した。

2  被告の通院経過

被告は、本件事故により、次のとおり通院治療を受けた。

(一) 医療法人社団善仁会小山病院 平成四年七月二六日

(二) 医療法人財団厚生会古川橋病院 平成四年七月二七日から同年九月二日(実日数一九日)

(三) 黒田病院 平成四年九月三日から平成六年一月一二日(実日数一七八日)

3  責任原因

(一) 原告宮崎は、過失により本件事故を発生させたので、民法七〇九条に基づき、本件事故により生じた被告の後記損害を賠償する義務がある。

(二) 原告浜松タクシーは、原告タクシーを保有し、自己のために運行の用に供していたから、自賠法三条により、本件事故により被告に生じた後記損害を賠償する義務がある。

二  争点

1  確認の利益

2  過失相殺

(一) 原告らの主張

原告宮崎は、原告タクシーを運転し、事故現場であるT字路交差点を右折しようとしたが、対向車線が渋滞していたので待機していた。ところが、対向車が道を譲ってくれたため、右折進行したところ、道を譲ってくれた対向車の脇を直進進行してきた被告バイクと接触した。この事故態様からすると、被告にも、本件事故に寄与した過失が、二割の割合で認められる。

(二) 被告の主張

被告バイクは、二車線ある対向車線の進行方向の左側車線を進行していたが、道路が渋滞していたため、事故現場であるT字路交差点の手前でいったん停止した。その後、前車両が交差点内を進行し、被告が前進しても交差点内で立ち往生するおそれがなくなったので、被告バイクが発進したところ、右折してきた原告車両に衝突した。被告の過失は、軽微である。

3  損害額

(一) 原告らの主張

(1) 治療費 一一一万一九一九円

(2) 通院交通費 一八万四五六〇円

(3) 休業損害 二四八万四八〇〇円

月額四六万五九〇〇円(一日あたり一万五五三〇円)の一六〇日分(平成四年七月二六日から平成五年八月三一日までの治療期間のうちの通院実日数)

(4) 慰謝料 一一四万〇〇〇〇円

(二) 被告の主張

(1) 治療費 一一一万一九一九円

(2) 通院交通費 九一万四七〇〇円

(3) 休業損害 三三八二万九九六一円

年間二三〇三万七一九四円の五三六日分(平成四年七月二六日から平成六年一月一二日)

(4) 慰謝料 一五五万〇〇〇〇円

(5) 物損(時計代) 一八五万〇〇〇〇円

第三争点に対する判断

一  確認の利益(争点1)

被告は、確認の利益がないと主張する。しかし、原告らは、被告に対し、平成七年四月五日、東京簡易裁判所に適正賠償額確定請求調停の申立をして調停手続を行ったが、同年七月一〇日、調停不調となった(争いがない)。そして、本件においても、原告らが主張する損害額と、被告が主張する損害額には先のとおり、大きな差があり争いが存在するのであるから、原告らには、一定額以上の損害賠償債務が存在しないことの確認を求めるについて、確認の利益がある。

二  過失相殺(争点2)

1  争いのない事実、証拠(甲一五~一八、三一、三二の1~3、乙二九、原告宮崎本人、被告本人)及び弁論の全趣旨によれば、次の事実が認められる。

(一) 事故現場は、波崎町方面(東方向)と鹿島町方面(西方向)を結ぶ中央分離帯のある平坦なアスファルト舗装道路である国道一二四号線(以下「本件国道」という。)と、高浜方面(南方向)への道路が交わるT字型交差点(以下「本件交差点」という。)である。本件交差点は、非市街地に所在して信号機が設置されており、この付近の交通量は普通である。本件国道の東西いずれの方向から進行してきても、前方の見通しは良いが、左右の見通しは悪い。中央分離帯は、その北側の車線を鹿島町方面から進行してきた車両が高浜方面に右折進行できるように、本件交差点内部において切れ目がある。

本件国道は、最高速度が時速五〇キロメートルに制限されており、中央分離帯の南側(以下「西方向車線」という。)は二車線である。両側に幅員各二メートルの路側帯があり、走行車線との間には白線が引かれている。南側にはさらに幅員四・九メートルの歩道がある。走行車線の幅員は、中央分離帯寄りから三・四メートル、三・五メートルである。

(二) 原告宮崎は、原告タクシーを運転し、本件国道を鹿島町方面から波崎町方面に向かって進行し、本件交差点で高浜方面へ向かうため、対面信号の青色表示に従い、右方向指示器を出して右折を開始した。ところが、西方向車線が渋滞していたため、その手前の中央分離帯の切れ目で停止したところ、西方向車線の車両が、二車線とも順に進路を開けて停止してくれたので、原告タクシーは時速約五キロメートルほどで発進した。そこへ、歩道寄りの車線で停止した車両と歩道の間から、被告が運転する被告バイク(排気量一一〇〇CC)が直進して進行してきたため、被告バイクの前輪が原告タクシーの左前部タイヤと左前部ドアの間付近に衝突した。この際、被告バイクは転倒しなかった。

2  この認定事実に対し、原告宮崎本人は、西方向車線の手前で停止した後、中央分離帯寄りの車線を進行する車両が進路を開けて停止してくれた後、その前まで進行して再度停止し、さらに、歩道寄りの車線を進行する車両が停止してくれた後に原告タクシーを発進させたと供述し、原告宮崎作成の陳述書(甲三一)にも同趣旨の記載がある。しかし、原告宮崎は、本件事故当日に行われた実況見分や事故後五か月近く経過してから行われた警察での取調べにおいても、西方向車線の手前とそれに進入後の二回にわたって停止したとは説明していない(甲一六、一七)。この点について、原告宮崎本人は覚えていないと供述するのみで合理的な説明をしていないのであるから、右の供述内容は、直ちには採用できない。

他方、被告本人は、歩道寄りの車線の中央より左側を走行して事故現場に差し掛かり、被告バイクの前の車両が交差点を横断して車間距離ができた後に交差点内に進行したところ、原告タクシーに衝突したと供述し、被告作成の陳述書(乙二九)にも同趣旨の記載がある。しかし、被告は、本件事故の約半月後に行われた警察での取調べにおいて、渋滞のため前車に続いて停車し、前車の側方を通って交差点を通過しようとしたと説明している(甲一八)。この説明について、被告本人は、これは、二車線のうちの左側の車線を走行したとの趣旨で説明したものであると供述するが、合理的な説明になっておらず信用できない。

したがって、事故態様に関する被告本人の右供述は採用できない。

また、被告本人は、原告タクシーは時速三〇キロメートルほどで走行していたと供述するが、衝突したのは、原告タクシーが停止状態から発進した直後であること、衝突しても被告バイクが転倒しなかったことからすると、被告バイクの大きさを考慮してもなお、この供述は採用できない。

3  1で認定した事実によれば、原告宮崎は、幹線道路を右折横断するのだから、前方を注視し、直進車両の動向に留意して右折進行する注意義務があるのに、これを怠り、被告バイクの存在に気が付かずに漫然と進行して本件事故を発生させた過失がある。他方、被告も、交差点を進行するに際しては、対向右折車両の存在など前方を注視して進行する注意義務があるのに、これを怠り、原告タクシーを通過させるために停止した車両の側方から本件交差点に進入し、本件事故を発生させた過失がある。

この過失の内容、事故の態様(なお、原告タクシーは西方向車線の手前で停止していたが、本件国道が中央分離帯のある幹線道路であることに照らすと、原告タクシーが停止したことを交差点への先入として、ことさらに重視するのは相当でない。)などの事情を総合すると、本件事故に寄与した原告宮崎と被告の過失割合は、原告宮崎が八五パーセント、被告が一五パーセントとするのが相当である。

三  被告の損害額(争点3)

1  治療費 一一一万一九一九円

被告は、小山病院、古川橋病院及び黒田病院の各治療費として、合計一一一万一九一九円を負担した(争いがない)。

2  通院交通費 二一万三六〇〇円

被告は、通院にタクシーを利用したと主張するが、これを認めるに足りる証拠はない。ところで、通院当時の被告の住所が、東京都港区白金二丁目一番六号であるのに対し、古川橋病院は東京都港区南麻布二丁目一〇番二一号に、黒田病院は東京都大田区蒲田三丁目一八番二号にそれぞれ所在しているから(甲四の1、五の1)、少なくとも、古川橋病院については、被告の自宅に極めて近接しているので、通院交通費は認められない。また、黒田病院については、すでにリハビリのために転院したのであるから、タクシー利用の必要性に関しては疑問がある。しかし、その距離からすると、公共交通機関を利用したとしても、ある程度の費用が必要であったと思われるから、一日あたり往復一二〇〇円の一七八日分で二一万三六〇〇円を相当と認める。

なお、小山病院へは救急車で搬送されたのであるから(被告本人)、通院交通費は認められない。

3  休業損害 三〇一万七五〇〇円

(一) 基礎収入について

(1) 証拠(甲二二、二三の1・2、二八、三〇の1、三〇の2の1・2、三〇の3の1・2、三〇の4の1・2、乙二~二四、二五の1・2、二七~三〇、三二の1・2、三三、被告本人)によれば、次の事実が認められる。

〈1〉 被告(昭和二四年七月一日生)は、第一種消防設備点検資格及び第二種消防設備点検資格を有しており、従前、消防設備の点検・工事・販売等をしていた前出工機株式会社に勤務していたことがあった。しかし、昭和六二年に解雇され(裁判になり、後に和解)、その後、総合防災カワシマの名称で、消防設備の点検などの業務を行うようになった。

〈2〉 被告は、総合ゴルフ練習場である横浜ゴルフプラザと、平成三年と平成四年に各一回ずつ消防設備の点検を行い、平成三年九月に七万二五〇〇円、平成四年八月二五日(作業は同年七月六日)に二二万八三五〇円の支払を受けた。平成四年の取引が平成三年の取引より高額になったのは、消化器などの設備の更新があったためであった。被告は、同年七月六日に、さらにレスポワール弥生台及びリミアール弥生台において、消防設備の点検を行い、同年八月二五日、それぞれ五万七〇〇〇円、一万五〇〇〇円の支払を受けた。また、被告は、平成四年七月一日から同月一五日までの間に(同月一日から三日、五日、七日から一五日)有限会社カメイ(当時は亀井商会)で、消化器の詰め替え作業を、同年七月一六日には、太陽ビル吉田において、自動火災報知設備配線取り替えを行い、それぞれ五〇万〇五〇〇円、五八万円の支払を受けた。被告は、ほかに、七か所で消防設備点検を行い、同年七月四日に合計一一万五八四〇円の支払を受け、同年七月二五日には、五か所において、同じ消防設備点検により合計八万一二〇〇円の支払を受けている。

なお、被告は、平成四年の収入として、同年に支払われた右の合計金額である一五七万七八九〇円と申告した。

〈3〉 有限会社カメイは、元来は夫妻で業務を行っていたものであり、しばらく仕事に時間をとれなかった妻に時間的余裕ができたことと、被告が本件事故に遭ったことが重なって、被告と取引をしないようになった。

これらの認定事実に対し、被告本人は、平成四年七月の横浜ゴルフプラザでの作業代が比較的高額になったのは、設備が大きくなったことと、消防署への折衝も請け負ったからであると供述するが、これを裏付ける証拠はなく、かえって、これに反する内容の証拠(甲二二)があり、採用できない。

(2) 被告は、平成四年七月一日に総合防災カワシマの名称で消防設備点検工事等の業務を行うようになり、本件事故までの二五日間で合計一五七万七八九〇円の収入を上げていたのであるから、これを前提にすると、年間二三〇三万七一九四円の収入を得ていたことになると主張する。

しかし、被告が、平成四年七月四日、二五日に各支払を受けた合計一九万七〇四〇円が、同年七月一日以降の労働により得たものかは必ずしも明らかでない(被告本人は、これらについて、一日で回って当日に支払を受けたかのように供述するが、同じく、現金で支払ってもらったと思うと供述するレスポワール弥生台及びリミアール弥生台での作業代金は一か月半以上経過してから支払われていること、被告は、平成三年にも横浜ゴルフプラザと取引をして、すでに個人として営業していたことを併せて考えると、右の供述は直ちには採用できない。)。また、一五七万七八九〇円のうち、相当額を占める有限会社カメイにおいては、不足していた労働人員が回復したことが、被告との取引中止のひとつの理由になっているのであるから、被告が本件事故に遭ったことも取引中止の一理由となっているとしても、事故がなければ、そのまま消化器詰め替えの仕事を継続することができたといえるか定かでない。横浜ゴルフプラザでの作業については、平成三年九月の後、平成四年七月に行っていることからすると、はたして平成四年中にもう一度この作業になされたか否か明らかでない。さらに、この横浜ゴルフプラザでの平成四年の作業においては、消化器などの設備更新が含まれていたことからすると、被告において、その仕入れのための経費がかかっている可能性もある。

そうすると、被告が主張する一五七万七八九〇円が、すべて平成四年七月一日から二五日間労働して支払を受けた分といえるか必ずしも明らかでないし、それが二五日間労働をして支払を受けた分であるとしても、その全額が収入といえるかも明らかでない。のみならず、それが、二五日間で得た収入であるとしても、常時、これほどの作業を行うほどの顧客を確保していたことを認めるに足りる証拠はないから、一年間にわたって同じ割合の収入を得続けることができた蓋然性が高いとはいえない。

同じ割合の収入を得続ける蓋然性に関連して、被告本人は、前出工機に勤務していたときの上司である藤森英一から、平成元年に藤森が死亡した後に、その妻からお得意様名簿を譲り受けていたとして、取引先が比較的容易に確保できるかのように供述する。しかし、それを譲り受けていたとしても、平成元年ころの顧客を、平成四年になってからどれほど引き継ぐことができるか疑問がある上、そもそも、このような重要と思われる名簿について、被告本人は、不要になって捨てたと思うと不自然な供述をしており、採用できない。のみならず、この名簿によって、現実に、先に認定した取引先以上の顧客を確保したとの主張も立証もなされていないのであるから、この名簿を譲り受けていたとしても、一年間にわたって同じ割合の収入を得続けることができた蓋然性が高いとは到底いえない。

(3) 以上によれば、被告が、本件事故当時、年間二三〇三万七一九四円の割合による収入を得ていたとの被告の主張は採用できない。そして、本件事故当時、被告が総合防災カワシマの名称で消防設備点検工事等の業務を行っていたこと、期間や利益分について疑いはあるものの、被告は、平成四年七月ころには比較的短期間で一五〇万円以上を売上げていることなどの事情に照らすと、被告は、原告が主張する月額四六万五九〇〇円、すなわち、年間五五九万〇八〇〇円を下らない収入(平成六年賃金センサス第一巻第一表男子労働者産業計・学歴計・全年齢平均の収入である年間五四四万一四〇〇円を上回る額)を得ていたものと認めるのが相当である。

(二) 休業期間及び労働能力制限の程度について

(1) 争いのない事実、証拠(甲三の1・2、四の1・2、五の1・2、六の1・2、七の1・2、八の1・2、九の1・2、一〇の1・2、一一の1・2、一二の1・2、一三の1・2、被告本人)及び弁論の全趣旨によれば、次の事実が認められる。

〈1〉 被告は、衝突時にハンドルが左下腹部に当たり、また、左足で被告バイクを支えた。そこで、本件事故当日である平成四年七月二六日、事故現場近くの小山病院で診察を受け、腹背部打撲の診察を受けたが、治療を拒否してそのまま帰宅した。翌二七日、自宅近くの古川橋病院で診察を受けたところ、左膝・左足・左肘・左肩・恥骨部の各挫傷の診断を受け、平成四年九月二日までの間に合計一九日通院して治療を受けた。

〈2〉 被告は、平成四年九月三日からは、リハビリ目的で黒田病院へ転院し、左足関節・左膝関節・左手関節・左肘関節・左肩関節の各捻挫の診断を受け、投薬治療とリハビリを開始した。レントゲン検査の結果、骨傷はなかった。その後、同年九月中に合計四日、同年一〇月から一二月までに合計三六日通院し、同年一一月ころには症状は軽快の方向に向かっているとの診断であったが、翌一二月には、左肩関節の痛みと可動域制限が認められた。

〈3〉 被告は、平成五年になっても、毎月一〇日間を超える日数を通院し、可動域制限はなくなったものの、左肩関節及び左肘関節の痛みを訴え、理学療法による治療を続けた。同年七月ころには、疼痛が軽減するとともに、左肩関節の可動域制限も改善し、同年八月三一日までに合計一四〇日通院し、治療終了とされた。ところが、その後も、毎月八日間から九日間ほど運動療法による治療を続け、平成六年一月一二日までに合計三八日通院した結果、治癒と診断された。

(2) この認定事実によれば、本件事故当日から平成六年一月一二日までの治療が本件事故と相当因果関係があるということができる。

これに対し、原告らは、平成五年八月末日までの治療が、本件事故と相当因果関係のある治療であると主張する。

たしかに、負傷内容に照らすと、平成六年一月一二日までの治療期間が若干長いことは否定できない。しかも、黒田病院では、平成五年八月末日でいったん治療終了となっている。しかし、その時点で治癒と診断されてはいない上、被告が、その後も間隔を開けることなく運動療法を続け、黒田病院でも治療を継続したことを併せて考えると、その後の治療について、相当因果関係がないとはいえない。

したがって、原告の主張は採用できない。

もっとも、症状の部位及び内容に照らすと、治癒するまでまったく労働をすることができなかったことには疑問がある。そこで、症状、治療の経過(治療及び診断の内容)、通院頻度などの事情を総合すると、本件事故当日からリハビリのため黒田病院に転院となる前日の平成四年九月二日までの三八日間に加え、その後、黒田病院でいったん治療終了となる平成五年八月末日までの実通院日数一四〇日間を加えた一七八日間は一〇〇パーセント、その余の平成六年一月一二日までの実通院日数三八日間は五〇パーセントの限度で休業損害を認めるのが相当である。

(三) 休業損害の額

年間五五九万〇八〇〇円を基礎収入とし、(二)の割合に従って休業損害を算出すると、三〇一万七五〇〇円(少数点以下切り捨て)となる。

5,590,800×(178+38×0.5)/365=3,017,500

4  慰謝料 一五〇万円

被告の負傷内容、通院の経過などの一切の事情を総合すると、被告の慰謝料としては、一五〇万円を相当と認める。

5  物損(時計代) 認められない

被告本人は、御徒町で一八五万円で購入したロレックスの腕時計を左手にはめていたが、本件事故後、東京に戻って初めて腕時計がないことに気がついたと主張する。

しかしながら、被告は、本件事故により転倒していないのであるから、そもそも、事故の衝撃で腕時計を紛失するのは疑問があるし、東京へ帰るまで、これほど高額な時計がなくなっていることに気がつかないのも不自然である(時計が高額であることをさておくとしても、事故後、東京に着くまでに腕時計により時間の確認をまったくしていないのも不自然である。)。その上、被告が、本件事故当時、この時計をはめていたことはもちろん、そもそも所持していたことを裏付ける証拠もない。

そうすると、被告本人の供述は、直ちには採用することはできない。

6  過失相殺及び損害のてん補

1ないし5の損害総額五八四万三〇一九円から、被告の過失割合である一五パーセントに相当する金額を減ずると、被告の過失相殺後の金額は、四九六万六五六六円(一円未満切り捨て)となる。

原告らは、被告に対し、既に一三〇万一六二九円を支払っているので(甲二四)、右の金額から、この支払額を控除すると、被告の損害残額は、三六六万四九三七円となる。

第四結論

以上によれば、原告らの請求は、被告に対し、本件事故を原因とする損害賠償債務は、被告について、三六六万四九三七円及びこれに対する平成四年七月二六日から支払済みまで年五分の割合による金員を超えて存在しないことの確認を求める限度で理由がある。

なお、被告は、原告らが主張する債務残額を超える額を認定したときは、請求を棄却すべきであると主張する。

しかしながら、認定額が、原告らが主張する損害残額を超えるとしても、それは、原告らの申立ての範囲内である上、債務残額の確定を求めるのが原告らの意思であると理解できるから、債務額を判断するのが相当である。

したがって、被告の主張は理由がない。

(裁判官 山崎秀尚)

交通事故目録

一 発生日時 平成四年七月二六日午後四時二五分ころ

二 事故現場 茨城県鹿島郡神栖町大野原一―二三一先路上(T字路)

三 事故車両 被告が運転していた自動二輪車(品川て九三〇七)と、原告有限会社浜松タクシーが所有し、原告宮崎博が運転していた普通乗用自動車(水戸五五あ六一九八)

四 事故態様 事故現場を右折しようとした原告宮崎博運転の普通乗用自動車(水戸五五あ六一九八)に、対向車線を直進してきた被告運転の自動二輪車(品川て九三〇七)が衝突した。

自由と民主主義を守るため、ウクライナ軍に支援を!
©大判例